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自分と意見が違う時だけ「持論を展開した」って言うな

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ニュース番組とか討論系の番組のみならず、とこでも聞くようになったよね。

ネット記事の見出しなんかでも、毎日のように目にする。

「誰々は何々に関してこういった持論を展開した」

っていうやつだ。

新聞とか週刊誌とかの記事でも見かける。

以前からそれらを目にしたり耳にしたりするたびに不快に思ってたんだよね。

 

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「持論を展開した」に込められたニュアンス

誰かが、他者の発言に対して使ってるんだけど、どうも以前から何かしらの意図が感じられてしまう。

ある目的があって使っているように思うのだ。

この「持論を展開した」には、

「否定的なニュアンスがある」

と感じる。

「勝手な想像でしゃべっている」

「誰も賛同していませんけど」

「まさか、こんな意見を持った人がいるなんて!」

「まあ、世の中には色々な考えの人がいますから」

「みなさん、こんな意見の人もいるんですよ、私は違いますけど」

というような受け取り方をしてしまう。

もちろん、こういった言い方にいちいち反応している人は多くないだろうが、何気なく聞き流していても、その受け取り方に影響があるのではないだろうか。

少なくとも、使っている方は意識して選択しているだろう。

「持論を展開した」を使わないとき

逆に、「持論を展開した」をわざわざ使わないときもある。

もちろん、その意見を好意的に見せたいときだ。

まるで

「世界中の人にとって常識ですよ」

と言わんばかりに、当然の意見として語られていたりする。

「世間の人たちはみんなこう思っています」

「みなさんも、もうご存知でしょうけど」

「あの何々さんもこういう意見なんですね」

「こういう意見がこれだけ出ているのに、なぜ対処しないんでしょう?」

という感じだ。

これだって、その人だけの持論のはずだが、わざわざそうは言ったりしない。

発言者が、その意見に賛同しているからだ。

その意見が正しいとみんなに広めたいのである。

賛同している意見を取り上げる時には、

「この発言が支持されるのはなぜか」

という感じのタイトルがつけられることもある。

もう、その意見が

「世間に支持されている」

ことを前提として語っているのだ。

いや、その意見が支持されているかどうかは、その記事を書いたりしたライターの判断だし、その意見だって「持論」なのに、決してそうは書かない。

厄介なのは、それを聞いて、

「好意的に見せたいから、こんな言い方をしているんだな」

なんて思わないことだ。

僕としては、そういうところが引っかかって、不愉快に感じてしまう。

しかし、なんとなく聞き流してしまっていたら、無意識のうちにそれが

「当たり前の意見」

のように感じてきてしまうのではないか。

対して、

「これは誰々の持論ですが」

なんて言い出すと、いかにも少数派で、突飛で奇をてらった意見のように感じる。

最近でこそテレビや新聞やニュースなどを

「正しい情報を提供している」

などと信じている人は少ないだろうが、こういったなにげない「伝え方」の問題で受け取り方が変わってくるような情報の判断は簡単ではない。

いろんな場面で、無意識に

「これが当たり前だ」

と思わされていることは山のようにあるんだろうな。